続日本100名城「大垣城」へ行ってきました!

続日本100名城

どうも、たぬぽんです!

7月23日(日)に岐阜県のお城、「大垣城」へ行ってきました。大垣城は大垣駅からも近く、城の周りも商店街がならんでおり、行きやすいお城だなと感じました。近くには、駐車場も多くあり、城の真横に留められました。

城のデータ

別名:巨鹿(きょろく)城、 麋(び)城

城地種類:平城

築城年代:天文4年(1535年)?

築城者:宮川安定(やすさだ)?

文化財史跡区分:市指定史跡

スタンプ設置所:大垣城天守内

 

大垣城入城

大垣城に向けて、ナビで車を走らせると、城の真横まで行けました。近くの駐車場に車をとめ、いざ天守へ。

大垣城はもともと、市内を流れる水門川の流れを外堀に利用して築城されており、堀が何重にも作られ、本丸にはなかなかたどり着けない構造になっていました。

1600年関ヶ原の戦いでは、西軍の石田三成の本拠地となり、その後、戸田氏鉄(うじかね)が入城し、明治維新まで続きました。昭和11年国宝に指定されましたが、昭和20年の戦火で焼失してしまいました。

天守横の松には、「おあむの松」という籠城していたおあむが、東軍の攻撃から逃れ、城から脱出することができたという話が語り継がれていた。

いざ、天守内へ、入ってすぐ横に続100名城のスタンプがあり、ゲットしました!!

天守内を見て回りました。中は改修されたお城ということもあり、コンクリートでしっかりと固めてありました。

中でも、興味深かったのは、もし石田三成が大垣城にとどまり、徳川軍を迎え撃ったらというパネルでした。大垣城は堀で固められたお城、そこに4万の軍勢がいる。そして毛利軍2万5千も増援にくることになっている。

つまり!! 実際の「短期で合戦が終わる」ということにはならなかったはずなのです。しかし仮説であるため、また小早川の裏切りのような、思いもしないドラマがあるかもしれません。

しかし、そのようなもし○○だったらと想像を膨らませるのも、歴史を学ぶ上で一つの楽しみなのかもしれませんね。

まとめ

大垣城は、アクセスしやすく、見やすいお城であるかと思います。

改修が進んでいるため、当時の様子は想像に頼る所ですが、天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」の舞台ともなった重要なお城だと考えます。

是非とも、お立ち寄りください。たぬぽんでした。

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